育児休業中に会社に行ったら失笑された話

こんにちは、tikoです。
最近、用あって久しぶりに妻に子供をまかせて会社に行き、そこで上司とちょっと話をしてきました。
用自体は業務課で完結してしまうような内容で、それだけ済ませれば帰ってしまっても良かったのですが、業務課の隣が私の所属する部署だったので、簡単にご挨拶でもと思い、お邪魔しました。
ところが、そこで記事タイトルのような出来事があり、色々と思うところもあったので、こうして記事にしておこうと思い、テキストを打ち込んでいます。
久しぶりの会社での出来事
育休に入って約一月。
かんたんな書類上の手続きがあって、久しぶりに会社に行ったんです。
業務でその手続きを済ませたあと、すぐに帰ってしまうのも失礼だなと思ったので、ちょっと顔を見せるために私の部署までそのまま足を運びました。
そして、所属長に簡単な挨拶と、近況の報告を行ったのですが、そのときに
「ところで・・・家で何してるの?読書とか?」
のように質問を受け、周りに居た他の上司が失笑していたんです。
通り一遍の回答はしましたが、それでも反応は「へえ〜そんなにねぇ・・」といった感じのものでした。
これには内心、絶望的なまでの感覚の隔たりに愕然としていました。
恐らく、純粋な疑問から出た質問なのだと思います。
ずっと会社を休みにして、家で何をそんなにやることがあるのかと。
本当に「想像がつかない」から、そう質問したとしか考えられません。
そして、想像がつかないからこそ、周りに居た数名の方を含め、その質問に思わず失笑がこみ上げてしまったのかな、と・・
遠い遠い心の距離
男性として長期間の育休を取得する中で、これまでに先例のないこと、とは度々聞いてきてそれを私自身理解していたつもりですが、それでもこういった出来事があると、あまりに大きな感覚のズレに改めて面食らってしまいました。
制度だけは綺麗に整備してあっても、いざそれを実際に適用した際、風潮的な「歪み」のようなものがやはりまだ厳然として存在するのだと思います。
社会全体で見ても利用する割合が5%程度なので、ある程度は致し方無い、といえるのかも知れませんが・・・
私個人的には、怒りのような感情を抱くこともなく、ただただあまりにも遠い心の距離感に愕然としていました。
やっぱり私はもう、ここには長くはいるべきではないのだろうな、
そして、これでは理解を得られないと憤慨する方の気持ちも無理からぬことだな、と。
恐らく、意地悪するようなつもりはほとんど無いのだと思います。
ただ純粋に、文化が違うだけ。
大切にしているものが違うだけなのです。
例えば仏教徒の方に、どんなにアッラーの偉大性を説いたり、キリストの敬虔さを説明しても、一朝一夕には伝わらないでしょう。
いかにその人にとって当たり前のように生活に溶け込んでいる習慣でも、他の人からすれば変人のように映ってしまう場合もあります。
それは大切にしているものの違いで、信仰しているものが違うだけなのです。
その距離を埋めることができるのは、ただ双方への思い遣りと歩み寄り。
これらが足りなければ、いずれ部族間衝突や宗教戦争のようになるのが関の山でしょう。
相手を変えようとするよりも自分を変えていくこと
そんなことを感じてしまった今回の出来事ですが、なにも今回に始まったことではなく、同様の出来事はこれまでに大なり小なり、何度もありました。
ちょっとしたことでも、心の距離を感じてしまう出来事はあるものです。
こうしたことの原因って、直接的にはその場の人が槍玉に挙げられがちなんですが、実はその背後にはより大きな問題が潜んでいて、個人レベルの働きかけでは対処が難しいことが多いんですよね。
組織とか、もっと大きなもので言うと、社会とか・・
そういったものを変えていこうとすると、大きな発言力か根気強い訴えかけが必要で、いずれにしろ膨大なエネルギーコストを要求されるので、個人で相手にするには分が悪く、自分自身を変えていったほうが現実的です。
限りある自分の時間と情熱を、あるべきところに向けられるように・・
より多彩な価値観を認め合い、お互いに高め合えるような関係性を築ける仲間と出会えるように、これからも情報を発信し続けていきます。
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