無理してでも休む、ということの必要性と効能

こんにちは、tikoです。
今回は、「無理をしてでも休む」ということについてお話をしていきたいと思います。
「無理をしてでも働く」ではありません。
「無理をしてでも休む」です。
ともすれば自己矛盾をはらんだこの言葉こそ、ついつい頑張りすぎてしまうあなたに必要なキーワード。
仕事でも、家事でも、育児でも・・・
頑張ることはとても大切で、尊いことですが、
頑張り「過ぎて」しまうことには、全くやらないのと同じくらいの危険性があります。
わかりやすい弊害としては、体調を崩してしまうこと。
わかりにくい弊害としては、心の病や、人生で大切なものを見失ってしまうこと。
この記事は、今まさに何かに追われるようにして、頑張り過ぎてしまっているあなたに向けて書いていきたいと思います。
どうか一度、じっくりと心に浸透させていただければ幸いです。
無理をしてでも休む「必要性」
そもそも、わたしの言葉に熱心に耳を傾けてくださる方は、
真面目で勉強熱心で、前向きな姿勢を持った方がとても多いです。
ただその反面、(すべては考え方、言葉の選び方ひとつですが)少々完璧主義であったり、神経質と呼べるところがある方も多いです。
失敗を人よりも強く恐れている、と言い換えても良いかも知れません。
そういった方はやはり、冒頭に上げた通り、その性質から
「頑張り過ぎてしまっている」場合が多いです。
過去のわたしもそうだったように思います。
半分、意地になってまで、これでもかと頑なに自分の考えを通す。笑
そんなに固くなっていたら、自分も相手も傷つけてしまうよな、と今なら思えますが・・・
当の本人には、わかっていても中々、考え方は変えられないものです。
だから、キーワードにして活用してみて下さい。
「無理をしてでも、休む」
ということを。
さもなければ、体を壊すのが先か、心を壊すのが先か。
良い未来を手に入れたくても、それを見つけ出すための目が足元にばかり向いていては、
すぐ前に迫りくる障害物にも気が付かず、頭をぶつけてしまうでしょう。
そうは言っても・・・
人に任せるより、自分でやったほうが早いし、正確だと思うかも知れません。
自分がいなくなったら、職場がまわらないと考えてしまうかも知れません。
そんな時こそ、無理をしてでも休む「必要性」があります。
完全に自分の思い通りにならなくても、それを許容する度量と、
自分がいなくなった空白が、どのように補完されるのかを冷静に観察する眼を持って下さい。
こればかりは、いくらか回数をこなしてみないと分かりません。
なぜなら、これまであなたは、そういったことをあまりして来なかったからです。
予想以上に事態が運べば、そのことに心から感謝することができますし、
予想以下に事態が運べば、その反省点をもとに改善策を立てられます。
つまりどちらに転んでも、あなたは成長できるのです。
最初はどうしても抵抗はあるかと思いますが、是非、やってみて下さい。
休むことの「効用」
休むことの効用についてですが、心身ともにものすごいメリットがあります。
適度に体を休めることは、あなたのパフォーマンスを生命まるごと上昇させます。
脳科学的にも、集中力は持続しないものと証明されていますから、
いかに自発的にリラックス状態を作り出せるかで、トータルでのパフォーマンスには大きな差が生じてきます。
そして、なにより心、メンタルを良好な状態に保つためにはまず、
その容れ物である体を健康な状態に保つこと、これが基本的な考え方です。
そして、
忙しくする、という漢字は、心を亡くしてしまうと書きます。
休む、という漢字は、木に寄り添う人のことを指します。
忙しくすることが、心の隙間まで埋め尽くされることとすると、
休むことは、心に空白をつくり出すことです。
あなたの心に意図的に空白や間をおくことで、人生に遊びや緩急が生まれます。
ゆったりとした気持ちの中で、潜在意識が活性化してアイデアとも出会いやすくなりますし、
自分の心が何を求めているかを探るのは、人生で最も大切なことなのです。
それでも休めないのは誰のため?
最後に、なかなか休めないという方の心理をもうひとつ。
「大切な誰かのために」休めない、という場合もあるでしょう。
でも、その誰かも、あなたに休んでほしいと考えています。
必死で、青くなったあなたの顔色を見て、心苦しく感じているはずです。
だからこそ、ここでひとつ、
無理をしてでも休む
ということを実行してみて下さい。
あなたのためだけではなく、誰かのために。
この記事で、あなたの心がまたひとつ、軽くなることを願ってやみません。
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