恐怖を克服することが生きること。漠然とした不安に立ち向かうには?

こんにちは、tikoです。

今回は「生きることとは恐怖を克服すること」という考え方について、子どもの成長になぞらえてお話をしていきたいと思います。

ものすごーく怖がりな、わたしの娘を見ていてふと、この言葉を思い出しました。

生きることとはなにか?

いきなり壮大な問いですが、これに対して「恐怖を克服すること」と答えたのは某悪役。

これだけ聞くと、あんまり悪役っぽくありませんよね。笑

わたしもそれが印象的でこの言葉をよく覚えていたのですが、これって子どもでも70歳のおじいちゃんでも変わらないなと。

この姿勢を持ち続ければ、

永久に成長していける

んじゃないかなと思いましたので、どういうことか説明していきますね。

全方位からの巨大な、狂気的恐怖感

わたしの3歳の娘は、何かにつけてよく「こわい」と言います。

おばけだったり、ウォシュレットだったり、ドアノブだったり・・・笑

人間は未知なるものに恐怖を感じる生き物ですから、まだ知らないことのほうが多く、見るもの聞くこと全てがほぼ「未知なるもの」である娘にとって、この世はあらゆるものがこわいのかも知れません。

でも彼女のすばらしいところは、恐怖を感じるままに感じていながらも、

それを克服しよう

とする意志をどこからか持ってきてしまうところにあります。

「こわい」というその理由だけで、声は小さくなり、足はすくんで、なにかに捕まっていないと立っていられないような状況に、いともかんたんに陥ってしまう。

小さな体で相対する闇は、わたしたち大人が想像している以上に絶望的なもので、狂気的なものであるのかも知れません。

そんな想像力をつい働かせてしまうほどに、傍目から見ていると動揺のしかたが凄い。笑

ところで、あまりにも静かで、叫び出してしまいたくなるような夜を、あなたは経験したことがあるでしょうか?

わたしも閉塞感を感じていた頃は、そんな体験をしたこともあるのですが、狂おしいくらいに恐怖しているとまともに立てなくなる。

そうなると何も聞こえなくなりますし、視界だって真っ暗です。

わたしたち大人でさえ、先の見えない漠とした未来に不安を感じることもあれば、恐怖することもあります。

でも彼女(・・・に限らず、子どもはたいていそうですが)は、周りから力を得て、みるみるうちに心を立て直していきます。

子どもの怖い気持ちに共感して、なんで怖いのかを聞き取りして、対策を提案して、

手を握って、励ましてあげるだけで、片目を開けて立ち上がる。

そして「意外といけるんだな」と感じると、どんどん加速度を上げて、あっという間に順応していきます。

本当に素直で、その成長の早さはおそろしい。

恐怖を克服すること、背中を押すこと

そんな子どもの姿を見ていると、わたしたち大人がいままで来た道のこと、これから行く道のことをつい考えたりしてしまいます。

未踏の闇に感じる恐怖感と、思い切ってそこに飛び込んだときの、

なんだ、やってみれば思っていたほどでもないな

という感覚。

小さい頃は何もかもに好奇心を持っていて、同じくらい何もかもに恐怖心をも持っていました。

わたしたちは、その恐怖を思い切って克服して、少しずつ闇を切り拓いてきたわけです。

それが、成長。

だとすると、わたしたちが今、これまでと同じように感じる目の前の闇も、思い切って飛び込んで克服していくことが、彼らのように成長を続けるために必要なことなのでは?

と思います。

頂点に立つ者のように、ほんのちっぽけな恐怖をも持たぬ者・・・にまでなる必要はないと思いますが、

常日頃、恐怖や不安に悩まされて続けるのは、まず幸福な日常とは言いにくい。

子どものように勇敢にそれを克服していけば、どんどん精神は健康に近づいていきますし、そうなると恐怖は成長のタネでしかありません。

また誰か、自分の来た道を辿ろうとしているけれど、そこに恐怖を感じている人に対して、

その先はいま怖いと感じているほどのものでもない、それよりもっと楽しく、もっと世界が広がるんだよ

と、大人が子供の手を優しく引くように、希望を持って導くというのは、まさに価値の提供。

やはり、その誰かの世界を変える、情報発信なのです。

まずは、あなたのすぐ後方にいる、今まさに恐怖に襲われている誰かを助け出す、そんな感覚でやっていきましょう。

誰かが思い浮かばなければ、過去の自分でOKです。

その誰かに世界一共感できるのは、他でもないあなたなのですから。