吾唯足知、足知者富の意味について。禅思想とビジネスの位置関係

こんにちは、tikoです。
「われ、ただ足るを知る」という言葉をご聞いたことがあるでしょうか?
石庭で有名な京都の龍安寺のつくばい(茶室に入る前に手を清めるためのお鉢です)に記された言葉で、このつくばいを寄贈したのはかの水戸光圀公ですが、もともとは禅思想の言葉なのだそうです。
漢字で書くと、「吾、唯、足るを知る」となり、4つの漢字すべてに「口」という漢字が入り、さらにそれが4方向に配置されているので、
五
矢 口 隹
止
と、デザイン的にも面白いものになっています。
直訳としては、「わたしは、足りていることだけを知っている」というもので、その解釈は多様ですが
・分をわきまえて満足すること
もしくはそれを少し発展させて
・身のうちに、あるいは世界に、全てのものが満ち足りていることを知ること
のような理解をされることが多いです。
つまり一般的には、自分が今備えているもので満足しなさい、欲望を抱きすぎずに清貧でありなさい、という教えですね。
この考え方は私も特に大切にしているものの一つで、この考え方なくしては人間は真の意味で幸せになることはできない、と思っています。
ただし、この教えに従い過ぎてもなかなか人は幸せになることはできないだろうな、とも考えています。
今回は、その理由についてお話をしていきます。
幸福の認識能力について
この言葉のどういった点が大切なのかと言うと、自分の近くに存在する「幸」に気付く能力、認識する力に言及している点です。
これは人によって感じ方が違っていて、しかもそれは後天的に決まる力だからこそ、自覚して育てていかなくてはならないものだと思っています。
たとえば、奥さんと毎日過ごせること。子どもと遊べること。気の合う友人と語り合えること。
美味しいご飯が食べられること。自分の足でどこにでも行けること。
こういったことは、認識こそされにくいですが、自分の身近に存在している幸福です。
考えようによっては、こういったこと以上に大切なことなんて無い、とさえ言えてしまうはずです。
なのに私達は、往々にしてこうしたことを忘れてしまい、失ってまた思い出すということを繰り返しがちです。
病気にかかってしまってから、健康なことの素晴らしさを思い出すように・・・
どうしたらこれが防げるかと言ったら、自分のたいせつなもの(欲望)をよく分かっているかどうかです。
だって、満足しているという状態には「いま、何%まで自分の心の器が満たされているのか?」を把握していなければ、なれませんからね。
足るを知ろうとすることは、足りないことにも積極的に目を向けること
欲望と成功の関係についての記事でも書いていますが、欲望は私達が小さな子供の頃に存在を認識する、自分の原初の分身の一人です。
付き合い方をわきまえていなければ、「あれも欲しい、これも欲しい」と暴走してしまったり「どうせ何も得られない」とヘソを曲げてしまったりします。
ですから、
・足るを知って満足しなさい
という教えを盲目的に守ることと、あなたがより幸せになれる道が完全に一致しているとは限りません。
しかし、大局的に一度は身の内に宿してみるべき考え方であるように思います。
それはどうしてかというと、優先順位が見えるようになるから。
足るを知ろうとする試みの中で、「これはよく考えてみるとありがたい事で、幸せだな」と感じることもあれば、「これはやっぱりどうしても満足できそうにないし、もうちょっと良くしたいな」と感じることもあり、その程度は色々であることに気が付きます。
満足できるものは欲が満たされていることを確認でき、より幸せを噛み締められます。
満足できないものは、それを得ようと努力したり、工夫することで成長できるし、満足できる地点に到達した時、得難い達成感があります。
自分の欲望の輪郭をよりはっきりさせ、自分に足りているものだけでなく、足りていないものまでを具体的に認識できるようになるのです。
その結果、今何をすべきなのかという優先順位もよく見えるようになり、結果的にあなたが移動したい世界に近づく、というわけです。
足るを知り足らぬを知れば百戦危うからず
足るを知る、つまり知足については古代中国の思想家である老子も言及しており、彼は「足るを知るものは富む」と言っています。
これは「吾唯足るを知る」を、別の角度で強調した言葉と捉えられることが多いですが、私は内心の豊かさだけではなくて、実際に資本主義的にも「富むことが可能」と考えています。
なぜかと言ったら、自分の人生における行動の優先順位が見えているから。
そして、行動指針が強固なものであると、それだけで多くの賛同者を惹き付け、実際にビジネス上成功する可能性も劇的に高まることは、多くの情報発信ビジネス成功者が実際に示しているとおりです。
となると「吾唯足るを知る」のつくばいのデザインが、和同開珎という日本最古の流通貨幣とそっくりなのにも、皮肉っぽい奇妙な偶然を感じませんか。
私達にとって、食べ物を取り入れたり、言葉を出して表現したりする「口」を中心として、経済が回っていることを風刺しているかのようです。
そして今は誰もがそのネットという口を使い、好きなことを表現できます。
まずは足るを知ろうとすることで、
・足りていることへの感謝
・足りないことへの渇望、向上心
を認識して、更には自分の方向性や指針を再確認することができ、ビジネスが加速します。
今ここにあるもので世界を表現しようとする禅思想と、今ここに無いものを世界に加えようとするビジネスは、人の心の中の欲望というキーワードでつなげて考えることが出来ます。
ぜひ、あなたも足るを知るを取り入れて、ビジネスの一助とされて下さいね。
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