自由とは奔放に生きることか?あなたらしく自由に生きるために、自由を研究しよう。

12/09/2019

こんにちは、tikoです。

今回は、少し哲学的な内容。

「自由って一体何でしょうか?」についてお話をしていきます。

この業界ではとかくに多用されがちな

「自由」

というワード。

それに惹かれて、この場所に集まってきた方も多いでしょう。

もしかすると、あなたもそうなのではありませんか?

でも、みんなちょっと自由自由って言い過ぎですよね。

あまりに自由って聞きすぎて、自由ってなんなのか、よくわからなくなって来ませんか?

この記事では、そんな(どんなだ)あなたのために、普通の自由と、その先にあるちょっと変わった自由についての話をしていきます。

これがわかるようになれば、あなたはよりあなたらしく、心から満足できるようになれる可能性が高まります。

ぜひ、ゆったりとした気分で読み進めていって下さいね。

不自由に対しての自由

最初の頃のわたしもそうでしたけど、自由という言葉に惹かれてしまうのは、今あなたが何かしらの「不自由」を抱えているからでしょう。

金銭、時間、体力、人間関係、etc・・・

そのどれに該当するとしても、どれもが致命的で、重大なことです。

そこに眠る悩みの根は、そうそう簡単には解決できないはず。

コピーライティングの中でも、感情に訴えかける手法であり,もっとも短期的に効力を発揮されやすいとされるプロパガンダでも、

人が抱えているそんな「閉塞感」をつついていくというのはセオリーの一つです。

つまり共通の「敵」を設定し、鼓舞していくということですね。

ある制約条件、つまり不自由であるという状態を強く認識させ、そこからの開放を阻むものを敵として設定するのです。

私のとくに好きな漫画の一つである「進撃の巨人」でも、

 

主人公たちの生活圏を取り囲む、50mの高さを持った3重の壁や

さらに壁の外から主人公たちをつけ狙う巨人たちの様子

自由を阻むものとして薄気味悪く、絶望的なものとして象徴的に描かれています。

人は不自由を強く感じると、自由への渇望を感じるのです。

これは原始的な衝動で、これを動機に自由を求め、もがく主人公たちに対して

わたし達は強く共感を覚え、すんなりと感情移入をして

物語の中に入り込んでいくことができるのです。

多重構造の檻

しかし、その後の展開では、これはぜひ原作を読んでみていただきたいのですが

はじめに不自由を作っている原因と考えていたものを打倒した後に、更に大きな問題が自分たちの周りを包囲していることに気がつくのです。

わたしの実体験でも、似たようなことがありました。

最初は直属の上司個人に対して抱いていた反感が、

実は部署全体のものであり、事業所全体のものであり

会社全体のものであり、社会全体のものであることに気づいていきました。

ひとつ克服するたびに、まるで進撃の巨人を読み進めているかのように、新しい視界、展開がバックリと広がっていくかのような感覚を覚えたものです。

「あれ!?じゃあ今まで悩んでいたことって、こっち側から見たら原因はここじゃなかったの!?」

自分に不自由を作っている原因を深く深く探っていくとその相手はどんどんと強大なものとなり、

これホントに倒せんのかよ・・・みたいな感じになってきます。

ここからわたしが学び取ったことは、

不自由を排除しようとする動機は、他者が存在する限り際限のないものであり

どこかで自分の心を飛び立たせなくてはならない、ということです。

ちょっと分かりにくいかも知れませんので、わたしの考える二種類の自由を使って説明していきたいと思います。

受動的自由と、能動的自由

わたしは、自由には二種類あると考えています。

・受動的自由

・能動的自由

の二つで、なにかから制約を受けて求めるのは、1コ目の受動的自由。

たしかにこれへの渇望は強力なもので、短期的に強いエネルギーを取り出すには適していますが、

上へ上へと目指していく姿勢には、いずれは限界がやってきます。

昔ながらのジャンプ的にどんどん敵をインフレさせていくだけでは、得られるカタルシスもどんどん目減りしていってしまいますので、どこかで方向転換をしていく必要があります。

そのときに見据えたいのが、能動的自由です。

これは、他でもないあなた自身があなたに対して課すルールのようなもので、

あなたが能動的に心に決めた事に対して「進撃」する

というものです。

誰に言われるでもなく、あなたがしたいからそうする、

そう行動することを「選択」できるということです。

ドイツの有名な哲学者であるカントも、同じことを言っていて、

他律的に決められたことに従うのは、動物と同じで人間の自由とはいえない、

つまり純粋な自分の意思から発露した行動だけが、自由と呼べるものだ、

これは能動的な自由といえるのではないかなと思います。

カント的自由の定義だと、例えば、

・お腹が空いたから、食べる

・眠くなったから、寝る

・・・といったことすら不自由に該当してしまい、ちょっと極端過ぎると思いますが・・笑

能動的自由を単純な例に落とし込むと、

明日のディナーで、(誰と)何のメニューを食べるのかを好きに選ぶことができる

そんな状態です。

つまり、未来の行動にあなた自身が選択肢をつけて、あなただけが選べる。

これが実現できてさえいれば、あなたの心は何者にも縛られず、どこまでも自由で、満たされているとは思いませんか?

そして、こうしたのびのびとした心のあり方を少しずつ実現していくことで、あなたはより

「あなたらしさ」

に近づいていくことができ、あなただけの世界に魅力を感じる仲間も、自然に引き寄せることができるようになっていくのです。

今現在、あなたをがんじがらめにしている不自由はもちろん、最優先で解いていかなくてはならない、切実な問題です。

しかし、そこから先の、本当に楽しげな世界のことも想像しておいてもらいたい。

それが両方とも実現できてしまうのが、ネットビジネスであるわけですから。

わたしはひとりひとりの実現する、最高に自由な日常だったり、独創的で唯一の世界観を魅せてもらうのも、この活動を始めた理由のひとつなんです。

ぜひ、まだ実現途中でも、これからの展望でもいいので、わたしに聞かせて下さいね。

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