「自分よりも大変な人がいるから」という致命的な考え方

こんにちは、tikoです。
今回は、「自分よりも大変な思いをしている人がいるから」という考え方についてお話していきたいと思います。
あなたは、あなた自身が辛い時。
もしくは目の前にいる人が苦しそうな時に、
「自分よりももっと大変な思いをしている人はたくさんいるんだから・・・」
「この人よりも大変な思いをしている人は絶対いるんだから・・・」
という思考を起点に行動をしたり、かける言葉を選んだことはないでしょうか。
おそらく多くの人がイエスと答える問いだとは思いますが、実際、
得てして、こういう考え方ってすぐに思いつきがちですよね。
逆にこんな感じで応対されたこともあるのではないかと思います。
わたしの場合は、親からよくこういったことを言われたような記憶があります。
しかし、この考え方はいっけん便利なようでいて、とても深刻な問題をもたらすことがあるのです。
それこそ、致命的なまでに。
この記事ではそこに立ち返って、考え方をひとつ見直していけたらと思います。
あなたの「痛覚」を無視しない
「いまの自分よりも大変な人は必ずいる」
こう考えることで、いま自分が置かれている状況と、
別の誰かの状況を客観的に比較して、第3者的に自分の抱えている問題を評価する。
単純なノウハウとしては便利で、冷静な判断ができる方法かも知れません。
これによって気が楽になる場面も、たくさんあると思います。
しかし・・・
この方法を何度も何度も繰り返すことで、
自分がいま感じている痛みそのものに対して、鈍くなっていってしまうという点で、
全てのケースで有用であるとは言えません。
自分がいま大変な状況にあるのに、とてもつらいのに・・・
それに蓋をして、より過酷な状況を想定して、自分の痛みを過小評価する、
というのは単に、自分をダマしているだけになってしまいます。
あなたの体感した痛みはあなただけのものであって、
あなた自身の感覚でしか、評価することはできません。
それに数値をつけて、誰かと比べて大きいとか小さいとか、そんなものではない。
少し暗い話にはなってしまいますが、自殺を考える人の心理は千差万別ですが、
それがどんな理由であったとしても、そこには命に換わるほどの絶望があるのです。
痛みを理解しようとする
その人の痛みは、その人だけが感じる重みがある・・・のならば、
例えば、
「この人よりもあの人のほうがたくさん仕事をしているのに」
「この人よりも自分のほうが、疲れている中頑張っているのに」
という考え方は、論理的ではありません。
彼我の「大変さ」の度合いは、実は比べようがないから。
そう考えるだけ、自分でフラストレーションを溜め込むだけです。
「自分よりも大変な人がいるはず」と常に思い込むようになってしまうと、
自分を傷つけ続けるだけでなく、他の人にまで勝手にイライラしてしまったり、
理解してもらえない、とふさぎ込んでしまうことになります。
これを避けるためには、
痛みを理解しようとする
という視点が必要になってきます。
自分の問題なのであれば、まずは自分の感覚を大切に、
どれだけ深刻なものであるかをしっかりと感じきることです。
誰かと比較するのではなく、自分の過去と比べてみること。
そしてそれを言葉にしてみることです。
気持ちや状況を言葉にしてみる。
「いまのつらさは〇〇%」と言ってみることも、一つのテクニックです。
これを知っているだけでもだいぶ違うので、ぜひ覚えておいてくださいね。
そして・・・
他人の問題なのであれば、慎重に推し量っていくしかありません。
やはり言葉にして吐き出してもらうのが、ひとつ有効な手段ではありますが、
その人にとっての重みは、究極的には理解することはできないという前提のもとで、
寄り添い耳を傾けて、理解しようとこころみるのが、最大限できることになります。
寄り添う技術とビジネス展望
この2つのアプローチは表裏一体ですので、
どれだけ自分の痛みに向き合ってきたかで、他人の痛みに対してどれだけダイブ出来るのかが
大きく異なってきます。
ぜひ自分の「痛覚」をこの機会に見直して、大事にしてみてください。
あなたを守ってくれている器官ですからね。
最後に一つビジネス的な話に繋げると、
現在は女性性の強く現れるご時世ですので、人の悩み事により強く共感をしたり、
一緒に解決策を探っていくことができる人は、今後どんどん求められていきます。
悩み事というのはほんとうに一人ひとり違うもの・・・
それぞれに対して、全く理解できないものと一蹴するのではなく、
理解しようと努めることで、新たな市場も開けるかも知れませんね。
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