『ララランド』ラスト5分の怒涛のifに切なさがこみ上げる。

あなたが脱ぎ捨ててきた『過去』と再び対面する、そんな物語ーーー
こんにちは、tikoです。
この記事では、映画『ラ・ラ・ランド』についてお話していきます。
ずっと以前より気になっていた映画だったのですが、この度、時間を作って観ることができました。いやあ、ミュージカル映画は楽しいです!
畳みかけるようなラストには、文字通り全身の毛が総毛立ち、涙まで出てきてしまう、そんな体験をしました。それから、こうして記事を書いておきたいという情動にさいなまれ、こうしてテキストを打ち込んでいます。
良質なコンテンツには、受け手に表現を促すような効果がある、そう改めて実感しました。
ステージの世界でも、良質な演技を観た後は、いやむしろ観ている最中から、自分も新しい動きや表現が思い浮かびそうで、ウズウズしてしまったのを思い出しました。
気持ちをドライブさせて、ロジックでハンドリングする。実に心地よい気分で、リラックスしながらお話して行けそうです。
ミュージカルを観る時には、踊る準備はできている
私はステージというものが好きなこともあって、ミュージカル映画は特に好きなジャンルの一つでもあります。
ミュージカル映画って、お話の途中で唐突に歌って踊ってのミュージカルパートが入ってくるのですが、これを受け入れる心の準備ができているかどうかで、こういった映画を楽しめるかどうかは大きく違ってくると思います。
登場人物の心情や、情勢の変化などといった観念的な世界を、歌とダンスでかろやかに表現し、現実部分であるストーリーとシームレスに繋げてしまう。
登場人物をも舞台装置化してしまうこのパートによって、ミュージカル映画ならではの、独特の没入感が生まれるのです。
たとえば恋をしたときのように、心が浮足立つ感覚などは、視覚、聴覚、楽曲などを総動員して、浴びるように見ることで、より高い臨場感を得ることができます。
言葉(テキストや音声)の力だけで人の心を動かす、私たちのような情報発信者とは、あるいみ対極的であるといえると思います。
でも、それでは学べるところが全くないのかというとそんなことはなくて、文章の流れや言葉遣い、テンポを意識することで、文章をミュージカル風に、劇的に演出することは可能だと考えます。
自分の感情に耳を澄ませて、ボルテージの高まる傾き、その起因となる要素を観察できれば、その流れを一連の文章の中でエミュレート(模擬出力)することもできるはずです。
そういった踊るような心で書くだけでも、文章に宿るオーラの色や勢いは変わってくるのです。
視点を持ってミュージカルを見るだけで、とても勉強になりますので、ぜひ挑戦してみて下さいね。
あなたが「脱ぎ捨ててきた未来」がある
人は誰しも、夢を全力で追った瞬間があって、時には人と協力し、応援し合い、競争し合って命を燃やした、そんな過去を胸に秘めていると思います。
でも、どこかの地点でそれを諦め脱ぎ捨てて、違う自分になるために選択をします。人にはこういった「人生の岐路」というものが必ずありますよね。
私にもそんな思い出があり、あなたにもあると思います。本作中ではそれを、ミアとセブというW主人公の、2つの人生を複雑に絡み合わせることで、現実の世界と、ありそうでなかった他の平行世界とのコントラストを劇的に強調しています。
ふたりには夢があり、それをお互いに応援し合う仲でしたが、状況は刻一刻と変化し続けてゆき、ふたりは最終的には分岐した人生を歩んでゆくことになります。
ラブストーリーとしては、ビターエンドです。しかし、ここが本作のストーリーラインの巧みな点で、最終的には二人とも、当初からの自分の夢を叶えるのです。
かつ、ふたりがもしも出会わなかったとしたら、ふたりとも夢を叶えることは無かった(と思わせる演出が入ります)という点が、物語をより味わい深いものにしています。
夢追い人としてのストーリーとして観れば、グッドエンドといえるでしょう。ただし、そこに至るために、大切な何かを脱ぎ捨ててくる必要があった。
そして、その大切な何かを「脱ぎ捨てなかった」未来も、すこしだけ位相のズレた地点にたしかに存在したことを、怒涛のラストシーンでまざまざと見せつけられることになるのです。
人生とは選択の連続で、今この記事を読んでいるあなたも、いくつもの選択を経てここにたどり着いているはずです。
その過去の選択をいっきに照らし出して、観るもののノスタルジーや切なさと言った感情を掻き立てるという点で、ここまでラスト5分で鮮明にフラッシュバックさせられる作品は、私は他に知りません。
映画冒頭と被せるような、高速道路からの離脱・・・高速道路は、何かの大きな流れを暗示しています。それは社会であったり、人生の流れだったり、運命や輪廻、ライフストリーム、アカシックレコード、などとも呼べるかも知れません。
ふと目につき、入った地下の店と、既視感のあるアイコン・ロゴ・・・ゆったりとした視線の移動が、何か大きく、神秘的なものとの邂逅を予感させます。
とても懐かしい顔と、音楽。過去との再開と、再定義・・・ターニングポイントは突然に。当時の後悔や切なさは、さらに過去にさかのぼり未来さえ別のものに作り変えてしまいます。
しかし・・・それはやはり幻で、霞のかかった決して交わらない道のもので、今自分の立っている位置が、それらとは地続きになっていないことを思い出すのです。
このへんのシーンって本当に誰でも共感しうる共同概念を、本質的にえぐり出して鋭く表現していると思いました。
切なさ、という感情的価値を見つめ直すのには、至適の教材ですので、もし興味を持って頂けたら是非観てみて下さいね。
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