ディック・ブルーナ「おうさま」ミッフィーの影に異色作。何を選び、誰と生きるか。

こんにちは、tikoです。

恒例の絵本から情報発信するコーナー、今回はディック・ブルーナの「おうさま」です。

ディック・ブルーナといえば、

全世界で1億部近く翻訳・発行されているミッフィーシリーズの生みの親。

残念ながら17年2月に、89年にわたるその生涯を閉じられましたが、今後もわたしたちの心の中からミッフィーがいなくなることはないでしょう。

あまりにも有名なシリーズですが、中でも異彩を放つこの「おうさま」の書評と合わせて、意外と知られていない彼のアートな人生についてにも触れていきたいと思います。

「おうさま」のあらすじ

さて、この「おうさま」には、おなじみのミッフィーをはじめ、友達のメラニーやグランティー、スナッフィーといったいわゆる「レギュラーキャラ」は登場しません。

冠を被った少年「おうさま」が主人公の、単独のお話です。

おうさまは二人のお世話係と一緒に、何不自由ない暮らしをしていました。

彼にはたくさんの積み木も、本物みたいな車もありました。しかし・・・

彼は王様でありながら、庭師の娘である「ろーすまれいん」に恋をしてしまうのです。

「ろーすまれいん」をお妃にしようとした王様に立ちはだかったのは、二人のお世話係。

駄目、駄目、駄目です!その子は冠を持っていません!こちらの王女様にしなさい!・・・と、絵に描いたような猛反対。笑

当然、王様は反発します。それなら、こうすればいいんだ!・・・と彼がとった行動とは?

何かを捨てるという選択

あらすじだけで、本作よりもテキスト量が多くなってしまったかも知れません。笑

シンプルなお話なので、もうここに書いてしまいますが、彼は王様をやめてしまうのです。

そして「ろーすまれいん」と、ずっと一緒に暮らしました、というお話。

この絵本の何が凄いかって、この二人のお世話係が、あまりにも恐ろしいんですよ。

なんと、緑色です。驚くべきことに比喩表現でなく、テキスト上にそう記述されています。

判を押したかのように二人で並んでいる姿も、異様です。

娘は背表紙にも登場するこの二人が怖すぎて、なかなか読もうとしなくなってしまいました・・・(実際、薄暗い部屋でこのお世話係の顔が目に飛び込んでくると、なかなかにショッキングです)。笑

だめだめと注意する私は、娘からはこんな風に見えているのかも知れません。。

ともあれ、王様の選択は障壁を振り払い、すべてを手放すものだったのでしょう。

途中のシーンがこれで、

最後のシーンがこうです。

詳しくは語られませんが、王様の頭からは象徴たる王冠が無くなっています。

かわりに、頭上には輝く満月。三日月の時に告白し、持ち物をなげうって駆け落ちするとは、児童向け絵本とは思えないほどにロマンチックです。

月の満ち欠けが、彼らの心情を実にわかりやすく表しています。

ふたりの表情を見ても、その選択にわだかまりは全く無かったのだということが見て取れます。

ディック・ブルーナという人物

作者であるディック・ブルーナは愛妻家であることでも知られ、作り上げた絵本はまず最初に必ず妻に見せていたそうです。

彼は出版社の社長の息子として生まれ、経営者としてよりも芸術家としての道を選んだ後に、妻のイレーネさんと結婚するために、父の会社の専属デザイナーになるという数奇な人生を辿りました。

そこからピカソ、レンブラントやマティスといった芸術に影響を受けながら、極限までシンプル化したキャラクターデザインであるNijntje(ナインチェ:オランダ語、うさこちゃん:日本語、miffy:英語)を生み出しました。

その大胆な線と究極的に選別された色使いは、どこか現代アートを思わせるような雰囲気を持ちつつ、子どもにも直感的にわかりやすい親しみやすさをも兼ね備えています。

面白いなと思うのは、ディック・ブルーナの絵本には「横顔」が存在しないという点。

そのわけは「絵本を読んでいる時、中のキャラクターもまた、読み手を真っ直ぐに見つめている」という、なんとも情愛あふれる彼のポリシーが貫かれているからだそうです。

超シンプルに見えても、そこには演出上の計算だったり、想いが背後に隠れているわけですね。

「おうさま」を読めばわかるとおり、ストーリーもまた極限まで無駄を削ぎ落としたスタイルでありながら、多くの示唆に富んだ内容となっています。

あなたにとって何が価値あるものなのか?

そのためにどんな行動の選択をとっていけば良いのか?

考えることは時に大変だったり、辛いこともありますが、よりよい人生にしていくためにはこの作業が絶対に必要で、あなたはもしかしたらそれを求めて、この記事にたどり着いたのではないでしょうか。

ディック・ブルーナの実例からしても、当時は「経営者か芸術家か?」という二元論しかなかったと言えます。

たしかに、どちらかを選ぶことしか「無かった」のかも知れません。しかし今の時代はそうじゃない。

優れた芸術家は経営者であり、また優れた経営者は芸術家でもある時代です。

それを可能にするのは一体何だろうか・・・?

是非、一緒に考えてみましょう。