レオ・レオニ『フレデリック』アリとキリギリスと、ちょっと変わった野ネズミの話

「目をつむってごらん。」
「君たちに、お日様をあげよう。ほら、感じるだろ、燃えるような金色の光‥」
のねずみたちは、段々暖かくなってきた・・・これは、魔法かな?
こんにちは、tikoです。
今回は、非常に有名な寓話であるアリとキリギリスと、ちょっと変わった野ネズミの話をしたいと思います。
私は絵本が大好きで、いつも娘に読み聞かせる絵本を選ぶときも、図書館や書店でついつい自分が読みふけってしまいます。
もしかしたら、絵本なんて・・と、あなたは思われるかも知れませんね。
たしかにストーリーの複雑さやビジュアル面などにおいて、漫画や映画といったいわゆる「大人のエンタメ」に比べると絵本はいっけん、淡白なものに見えます。
しかし、あなたはコンテンツ作成側として知っておかなくてはなりません。
絵本は人が生まれて最初に出会う「原初の物語」で、メッセージ性や感覚訴求性において純度が高く、そのインパクトはときに大人のエンタメを上回るのです。
シンプルであるがゆえに解釈の幅も広く、読む時々の読み手の状況によって、実に多くの学びをもたらしてくれます。
ここらへんは受け手の問題でもあるのですが・・・
前置きが若干長くなってしまいましたが、この記事では二つの絵本にスポットライトを当ててゆきます。
・イソップ寓話のひとつ「アリとキリギリス」
・レオ・レオ二作「フレデリックーちょっとかわった のねずみのはなし」
とても構成の似た二作なのですが、これらの違いと、現在の私たちの世界とを繋いでみます。
ぜひ、楽しみながら思考していきましょう。
アリとキリギリス
まずはおなじみのコチラのお話。
イソップ寓話は、紀元前6世紀のギリシャに端を発する口語伝承です。
知らない方がもしかしたらおられるかも知れませんので、簡単にあらすじをご紹介します。
暑い夏に歌って踊って楽しく暮らすキリギリスと、あくせくと食べ物を巣に運び、蓄えるアリ。キリギリスはアリに「きみたちも歌でも歌って、楽しんだらいいのに」と誘うが、アリは「冬のために貯蓄しておくのです」とバッサリ。やがて冬が訪れ、食べ物に困ったキリギリスはアリに食べ物を恵んでもらいに巣を訪ねるが、食べ物を分けてもらうことはできず、ついには息絶えてしまう。
国ごとの政治的な背景や、リノベートする作家によって展開が微妙に異なったりするのですが(結末がキリギリスを助けるものだったり、「夏にさえ溜め込むケチなアリは、冬訪ねてきたキリギリスにさえ嫌味を言って追い出す」という点を強調したり)、これだけでも一本記事が書けてしまいそうですので、ここではあまり深入りしません。
よく引用される寓意としては、「よく働き、将来のために備えなさい」ということで、働かない人に対して「後でキリギリスみたいに死んでしまうよ」のように使われることが多いですね。
フレデリックーちょっとかわった のねずみのはなし
レオ・レオニさんというアメリカの作家さんが書いた絵本です。
代表作は「スイミー」で、国語の教科書にも載っている、日本では特に有名な物語ですね。
「はらぺこあおむし」で有名なエリック・カールさんの、先輩デザイナーでもあります。絵柄も見て頂くとわかるのですが、コラージュ(貼り絵)を主体にしていて、どことなくその雰囲気を伺わせます。
こういう作家さん同士の繋がりも、とても面白いポイントですね。
さて、こちらのストーリーは、冬に向けて食べ物を蓄える4匹と、何もせずじーっと、ときに眠たそうにしている1匹の野ネズミの話です。
そして冬が訪れ、5匹はどうやって冬を越したのか?舞台設定や展開などが、アリとキリギリスにそっくりですね。
でも、違いはこの眠そうな一匹、フレデリックの行動です。
働かないフレデリックは、仲間にそれを指摘されたときに、「こう見えたって働いてるよ。僕はお日様の光、色、言葉を集めているんだ」と答え、冬に実際にそれらを4匹の目の前で展開し、皆に提供します。
2つの物語の違い
私がいちばんここで注目したいのは、二匹の姿勢の違いについてです。
キリギリスもフレデリックも、単純な肉体労働をしていなかったことに違いはありません。それに、もしかしたらキリギリスにだって、フレデリックと同じことはできたかも知れません。
でも、フレデリックは目的意識を持って計画的に働いていたのです。ただただ、享楽的に遊んでいたわけではなく、自分の中で創作を、表現の準備を進めていました。
たとえ仲間に疎まれようと、変わり者のレッテルを貼られようと、冬を仲間とともに越す方策を考えていた。ちょっと大袈裟かもしれませんが、ひとり孤独に頭脳労働をしていたとも言えるでしょう。
私はこのフレデリックの姿勢にこそ、現代の情報発信者の目指すべきものが現れているように思えてなりません。
現代の情報発信者とフレデリックの共通点
フレデリックが行ったことはまさに情報発信に他なりません。
自分の体で、声で、言葉で、ほかの4匹の心に暖かさ、彩り、感動をおこさせたのです。その効果たるや、まるで魔法のようです。
これはわたしたちが目指していくべき理想であって、情報の受け手の内面に劇的な変容をもたらせる人になっていく必要があります。
こんにち、私たちは食べるものにも困るような状況に陥ることは、想像もつかなかったほど少なくなり、人々はより高次元の欲求を満たしてくれるものを探しています。
アリや4匹の勤勉な野ネズミたちのように、地道にたくわえる作業を無駄と断じるつもりはありません。彼らの存在も、社会的に不可欠な意義をもっており、けして見下したり、軽んじることはできません。
しかし、情報発信を行っていくならば、「特異点」たる存在を目指すべきであって、特異点となるために必要なのが、フレデリックの行った創作や表現といった領域の活動です。
そのためにわたしたちは、つねに視点を多く持ち、フレデリックのようにドラマティックに物語を語れる詩人になってゆかねばならないのです。
そしてその詩たるコンテンツの作成を、黙々と淡々と進める姿勢の大切さを、私はこのちょっと変わった野ネズミの姿に見た気がしました。
周囲に惑わされず、焦らず、思考を巡らせて、step by step・・・
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