科学も信仰のひとつ?宗教と同一直線上に見た、人が共同で信じるものとしてのscience

15/11/2018

こんにちは、tikoです。

宗教」と聞くと、無宗派のわれわれ日本人はどうしても怪しいイメージを持ってしまいがちです。

宗教を否定するものの代表として「科学」がよく引き合いに出されるのですが、見方や考え方を変えることで、この2つは同じ到達点を目指そうとする試みなのだということができるのです。

今回は、「対極のものの共通点を見つけ出して繋げる」ということをテーマに、科学と宗教についてお話をしていけたらと思います。これは思考訓練方法のひとつで、こういった考え方ができると、2つの概念を行き来して双方向から説明ができ、それぞれの理解も同時に二つの視点から得られたものになり、立体的になります。

是非、この記事を通して考えてみてくださいね。

科学”教”?

私は当初、「神は信じない」という立場でしたが、妻との会話の中で、「あなたは科学教の信者であるだけで、それは神を信じているのと同じよ」と言われてしまいました。

私はこれについて長いこと納得ができていませんでしたが、宗教についても学んでいくうちに、確かにそのとおりだと考えるようになりました。

科学は自然から、宗教は人の内面から、多くの人が共同で信じるに足るものごとを取り出しているのです。

科学は実際の現象から仮設を立て、多数の検証を経て物理法則を浮かび上がらせる、というアプローチになります。

それに対して宗教は、先に概念や精神世界の設定があって、それを現実に落とし込んで適用していくという方向。

つまり何らかの真理に対して、外からか内からかの違いはあれ近付こうとする試みであるという点において、科学と宗教は同じものであるということができます。

アインシュタインの言葉に、「宗教無き科学は不具であり、科学無き宗教は盲目である」というものがあります。前者は宗教による思想の調律なしに科学を進歩させすぎれば危険であり、科学による実証をおろそかにすると宗教は暴走するということを言った言葉です。

前者は原子爆弾の悲劇が、後者は地動説の台頭を遅らせたことなどにより、歴史が証明しています。

科学と宗教は両輪であって、お互いが対極にありせめぎ合いながらも、進んでいく方向は「人の、より大きな幸せ」という到達点を目指しているものなのです。

どちらかが違う方向を向けば、行き先は全く別の所になってしまいますからね。

p.s.

私の好きな「Dr.STONE」という漫画では、「科学の世界じゃ神は留守だ」と言われています。この微妙な言い回しは、神というものに対しての科学者なりの畏れがあり、絶妙な距離感をうまく言い表したものだと思いませんか。

こういう意図的な表現が、サラッとできるようになりたいものですね。