「罪と罰」の解釈を「男性性と女性性」に対比させる

こんにちは、tikoです。

この記事では「罪と罰」を私なりに解釈して、今の時代に即したキーワード「男性性と女性性」に結びつけて考えてみたいと思います。

あなたが情報発信を進めていく上での、何がしかのヒントとなれば幸いです。

「罪と罰」といえば、ロシアの文豪ドストエフスキーの著した世界的に有名な小説で、書籍でありながら言語、時代の壁を越え、文字通りワールドワイドなバズを巻き起こしたコンテンツです。

そのゴシック(禁欲、退廃)な響きから、読んだことはなくとも気軽に話題に出てきたり、ティーンズ向けのポップスの歌詞やタイトルにもしばしば登場しますね。

クレヨンしんちゃんの映画にも登場するくらい、カジュアルなフレーズです(!)。

個人的には、罪も罰も「よこめ」という、目を横にした部首を冠している共通点があることもあり、「目には目を」を思い出しますし、漢字本体のイメージと相まって、ちょっとダークな感覚が目覚めそうになります。

さて「罪と罰」というフレーズはシンプルな対比構造を持ち「男性性と女性性」ともその点で同じですが、大切なのはやはり、そのバランスだと私は考えています。

誰でも、男性性と女性性それぞれの人格を自分の中に住まわせているのと同じで、罪をおかす人格(=悪魔)と、罰を与える人格(=神)があなたの中に共存し、常にせめぎ合っています。

漫画的表現で言うところの、天使と悪魔のような感じでしょうか。

今は女性性の時代とよく言われるように、罪と罰にもより多くの人が反応しやすいバランスがあって、情報発信をする上で自分なりのオリジナルブレンドを見つけ出し強調していく必要があると思います。

特に今は、何が正しくて何が悪いのか見失い深く悩んでしまう方も多いですし、味方の中に敵がいたり、自らの内なる悪を受け入れたりするような作品がヒットする時代です。

 

私の感覚では、これまで大人しくしていた罪(=悪魔)の勢力が、ここ十数年で一気に台頭してきた気がしています。笑

世の中の感覚も男性性優位から女性性優位に移り変わっていく中で、人道をはずれないことは大前提ですが「ちょいワル」な一面で魅せていくことも、よりファンを増やすための、大切な要素のひとつなのです。