中原中也の詩「サーカス」の絵本を読んで。太宰治も認めた天才的感覚の共有

25/08/2019

こんにちは、tikoです。

このたび「サーカス」という絵本を読みまして、それが私も娘もとても面白かったので、それについて記事にしたいと思います。

実はこの絵本に書かれている詩は、中原中也の同表題の詩をそのまま使用しており、それに絵をつけたものになっています。

中原中也といえば、明治時代の詩人で、かの太宰治や宮沢賢治と同時代を生きた詩人ですね。

「汚れちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる」

というフレーズはあまりにも有名です。

詩というのは、わたしたちが毎日使用している言葉を使った芸術であって、誰であっても口ずさむことができる再現性が、とくに魅力的だと感じるポイントの一つです。

だれでも使える言葉で、唯一無二の世界を表現し、人を魅了するという点においては、わたしたち情報発信者も全く同じ試みを、約100年が経ったいまも続けているということですからね。

 

そして今、わたしと3歳の娘にあっても、100年前の詩で大いに楽しむことができる。

 

なんとも夢のある話ではありませんか。

ともあれ、この「サーカス」という詩は、私も今回初めて読んだのですが(いわゆるジャケ買いというやつで)、なんだかもの寂しげなのに楽しげで、実に趣のある詩です。

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

以下に引用したいと思います。

幾時代いくじだいかがありまして
茶色い戦争ありました

幾時代いくじだいかがありまして
冬は疾風吹きました

幾時代いくじだいかがありまして
今夜此処こんやここでの一殷盛ひとさか

今夜此処こんやここでの一殷盛ひとさか

サーカス小屋は高いはり
そこに一つのブランコだ

見えるともないブランコだ
頭倒あたまさかさに手を垂れて
汚れ木綿の屋蓋やねのもと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
安値やすいリボンと息を吐き

観客様はみないわし

咽頭のんどが鳴ります牡蠣殻かきがら

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外は真ッくらくらくら
夜は劫々こうこうと更けまする

落下傘奴らっかがさめのノスタルヂアと

ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

引用元:中原中也「サーカス」

娘はこの「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」のオノマトペがとても大好きで、ブランコの絵が出てくると一緒に口ずさんでくれます。

サーカス小屋の空中ブランコはロープが長いので、一振りにとても長い時間を要します。

そんな光景を知らなくとも、サーカスというものを実際に見たことがなくても、娘の中ではふんわりと幻想的に揺れるブランコが、言葉によってきちんと形作られたようです。

私も読んでいて非常に気持ちがよく、どこか気の抜けたようなこの音の感覚がとても好きになりました。

それ以外の雰囲気も、夏のお祭りのあとのような賑やかさと物寂しさが同居しているかのような、複雑な情景をいとも簡単に想起させてくるのは素晴らしいの一言ですね。

詩のもつ力をもっと身近に

きょうび詩というと、ちょっと敷居が高かったり、崇高なものとして敬遠されてしまいがちですが、実際はとても身近にあるものです。

例えば、歌詞。

歌には多くの場合、歌詞がついていますよね。

歌詞に自分の境遇や感情を乗せて、人は言葉の持つ力を何倍にも増幅させるのです。

あるいは、小説や絵本のワンフレーズであっても、ひとつの詩とみることもできます。

わたしたちは、言葉を日常的に使っているからこそ、ことばの持っているポジティブな魅力にもっと目を向けてみることで、より大きな楽しみを受け取れたり、逆に贈り届けることもできるようになっていくのです。

今回の話で言えば、3歳でも30代でも一緒に楽しめてしまうオノマトペの力なんかがそれですね。

毎日聞いているような歌でも、自分の解釈を少しだけ意識的にずらしてみることで、全く違った詩の表現に気付くことができるようになるわけです。

これを日常的に行うと、コンテンツというものはほんとうに多種多様に、自由自在に作っていくことができるものだということが実感でき、日々の記事書きもずっと楽しいものになっていくはずです。

ぜひ、文章の楽しさに目覚めて、作業を趣味の領域にまで近づけていってしまいましょう。