社会的価値・・ネットワークの導線から引火する、非合理な価値

こんにちは、tikoです。
この記事では、感情的価値と関係の深い「社会的価値」について、お話していきます。
人間は社会的動物である、というのは古代ギリシアの哲学者であるアリストテレスのいった言葉です。人間は自分の頭のほかに、もう一つの巨大な「脳」を持っている、といわれた生物もいました。
これらのたとえ話は、人間同士が社会的なつながり(ネットワーク)を形成して生きているということを示そうとしたものです。
さらにこの一人一台スマホを持つ世の中で、そのつながりはネットを通してより強固に、より複雑に、より手軽に・・・何より、大規模に広がりを見せています。
社会的価値は、太古の昔から、そして現代において加速しつつある社会的現象の中で人が価値を感じるにあたり、根幹を成すものなのです。
ぜひ、これを深く理解し、いくつもの言葉で雄弁にその魅力について語れるようになっていきましょう。
ソーシャル・ネットワーキングは太古の昔から
完全な仙人や、世捨て人でもない限りは(そんな方がおられるのかどうか、わかりませんが)、人間というのは社会との繋がりとともに生きている生物であるということです。
誰しも、他の誰かとの繋がりを抱いて暮らしていて、そしてそれを求める欲求は社会的欲求とも呼ばれていて、食欲や睡眠欲などの生物的欲求や、生存のための安全欲求に次ぐ基本的な人間の欲求であるとされています。
人間の根幹にちかい欲求ですので、それだけ感情的価値の領域とは密接な関係があることは、なんとなくお分かりになるかと思います。
私の個人的な人生経験の中でも、これを求める本能的欲求は、なかなか強いように感じます。実際に子育てで家にこもりきりになって病んでしまう親御さんは多いですし、ネットビジネスの業界では、パソコン一つで作業が完結してしまうその特性ゆえに、孤独を感じやすい方も多いようです。
ソーシャル・ネットワーキングという言葉が出始めたのは最近ですが、人類史の黎明期からやってきたことは実は同じなんですね。
ともあれ、社会的価値というのはこの人間の社会性から発露する価値、ということになります。
わかりやすいところで言うと、自分の属する社会の中での地位、ステイタスですね。小学生や中学生の時、クラスの中で注目され、そして期待に応えられたとき、自分の地位が上がったように思え、うれしく感じたりはしなかったでしょうか?
より大きく捉えれば、社会に対する貢献や、寄付などもそれに該当します。
よくよく考えてみれば、社会に対しての奉仕の心が、”生物学的に”あるいは”直接的に”自分に何らかのリターンとして返ってくるなどということは、ふつうはあまりない筈です。
それなのに、人は進んでボランティアや社会貢献を行い、なおかつそれは通常、美徳とされます。このあたりに、人の根底に流れる社会的欲求だったり、感じうる社会的価値についての正体を見出すことができます。
人は、社会から見た自分というのを常に意識し、影響を受けます。ファッションの流行、社会通念などが効果を発揮するのは、人間のこうした社会的特性からも自然なことであるといえます。
とくに同じコミュニティ(国、地域、学校など)の中では、常識であったり社会的証明のプレッシャーが強く作用します。
社会の中での自分の立場=ネットワーク上での自分の機能を考えた時に、価値を感じうるモノ・サービス・情報があり、それが社会的価値と呼ばれるものとなります。
機能的価値、感情的価値と社会的価値の関係性
ここでちょっとおさらいすると、価値は、機能的価値と感情的価値の2つに分類されるとお話しました。
機能的価値は、モノとしての有用性、「便利か、使えるかどうか?」という尺度で見た価値です。
モノが溢れるこの時代、物質としてのモノ(車や家、お金なんかもそうですね)は相対的に価値がゆるやかに下がって行きます。
感情的価値は基本的に、個々人がその人の中でのみ認めうる価値です。喜び、楽しみ、共感、興奮、真、善、美、愛・・・有用性という意味ではこれらに意味はありません。いわゆる「ブランド」であって、あなた自身があなたの尺度で感じる価値のことです。
社会的価値は、特に個人という枠組みを越えて、社会的・全体的な貢献や調和に感じる価値のことをいいます。例えばボランティアや、個人としての社会的信用や、自分が貢献してより良い世界を作った、という実感です。
社会的価値は感情的価値に含まれるのですが、個人としての尺度だけではいっけん、こういったものは評価しにくいですよね。直接モノができたり、お金を生み出したりするわけじゃないし、個人にとっての目線で見れば、時間や労力が対価に見合っていないかもしれません。
でも、こういったものに価値や魅力を感じて、たくさんの人がエネルギッシュに活動しています。社会的価値は感情的価値の一面を、より多く含んだ価値であるということです。
これからの時代では、こちらに比重がかかってくることがほぼ確実でしょう。なぜなら物質よりも体験、資産よりも思い出、ライフスタイルとエクスペリエンスに重きが置かれる時代なのは明らかだからです。
自己表現的な欲求である「なりたい自分を実現する」ために、社会的価値を理解することはもはや必要不可欠です。
感情は伝播し、社会的な価値へのニーズもそれに伴って燃え広がります。感情的価値が炎のようなイメージであることは前にお話した通りですが、社会的価値を人が感じる場面というのもまた、誰かの感情を伝って聖火のように伝わり、引火するものです。
さらに、ネットの発達によりこの作用はより広範囲に、高速で広がっていくのです。
この特性を踏まえ、社会的価値をおおいに提供できるような存在となっていきましょう。
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