機能的価値・・冷え冷えとした、角ばった、氷のような確固たる価値

こんにちは、tikoです。
この記事では、価値を構成する2大要素のうちの一つである、「機能的価値」について触れていきます。
あとの記事で説明する「感情的価値」に対して、より文章化しやすいのがこの機能的価値です。物的で客観的、そして具体的な性質があります。つまり、より価値のより「わかりやすい」側面ということになります。
まずはこの機能的価値についての理解を深めて、あとでお話する感情的価値についての前提知識を定着させて下さい。
機能的価値のイメージは氷。
機能的な価値というのは、あなたが今見ている、スマホだったりパソコンだったり、そういったテクノロジーを例に取るとわかりやすいかと思います。
たとえばスマホであれば、手のひらに収まるデバイス上で、インターネットの閲覧、メールの送受信、カメラでの撮影、電話、LINEやInstagramなどのSNS、ゲームなど、実に様々なことができますよね。
これを一言で言うと・・?そう、「便利」です。たくさんの機能があって便利ですね。
私が高校生くらいの頃は、こうはいきませんでした。限定的なケータイのネット(ez-webという名前でした)、速度の遅い通信、紙芝居のような動画などなど・・・今とは比べるべくもありません。
それでも当時は、このすべてが画期的で最新鋭で、高校生の私達は熱中したものです。なぜなら当時の常識からしたら、とんでもなく便利だったから。
これが機能的価値です。機能が便利だと思うモノへ感じる価値だから、機能的価値。客観的で具体的ですよね。静的で、冷え冷えとしています。
ここから、もう一歩進めて考えてみましょう。
価値についての繰り返しの説明になりますが、個々人が感じる価値は相対的なものですから、その当時の技術水準ベースで人々が感じる機能的価値は変わります。そして技術は進歩していき、人もそれに慣れていく。
どんどん新しいことができるようになり、価値を感じられると同時に、それが「当たり前」になっていくということですね。
標準化、陳腐化・・・業界用語で言うと「コモディティ化」と言ったりします。あらゆるものの機能的価値はコモディティ化していく宿命を負っています。
戦後の日本のメーカーが高度成長期に、技術をどんどん高めて利便性を追求していった結果、日本のモノづくりは機能的価値の側面においては、世界を大きくリードするまでになりました。
しかし、現在もそれが続いているか?・・・と考えると、それだけでは通用しなくなってきている現状がありますね。
コンテンツ作成者に求められる機能的価値の認識
これをネットビジネスにおける話として展開します。
機能的価値の高いコンテンツというのは、わかりやすい、よくまとまっている、詳しい、知りたかったことがわかる、便利だ、・・・などのような印象を得られるものです。
このあたりはニーズにはまれば多くの人にシンプルに喜ばれるために、提供する側としてもわかりやすいと感じると思います。情報発信をしていく上で、機能的価値の提供は必須条件であると言えるでしょう。
しかし逆に言うならば、「調べればわかるような情報」に対し、人はどんどん価値を感じなくなっていってしまうのです。これからの時代にコンテンツ作成側として、最低限踏まえておいて欲しい背景です。
人の欲求自体がどんどん高次のものにシフトしていき、物的な原始的な欲求はコモディティ化が今後さらに進んでいきます。
氷はいずれ溶けていってしまう、というわけですね。
ではどうするか?というと、感情的価値というものに重きが置かれてくるわけです。日本のメーカーの話を引きずるなら、今どこでも盛んに叫ばれている「付加価値」がそれにあたるでしょう。
感情的価値は比較的、より曖昧で漠然としていて、その人に聞いても言葉で説明できるか?というとそうではなかったりする、ふわりとしたものです。
しかし今後は、決して軽視はできませんが、機能的価値の提供はもはや前提として当たり前となり、感情的価値が更に多様に求められていくようになるでしょう。
しっかりと噛み砕いて、自分のものにしていって下さいね。
次は、「感情的価値」についてです。
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